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福島ビエンナーレ2022
「風月の芸術祭」〜境〜開催にあたって

芸術監督(アート・ディレクター)
渡邊 晃一

本企画は、白河市の歴史、文化を基盤に新たに展開する現代アートの芸術祭です。

「風月」というタイトルは江戸時代の白河藩主、松平定信公の雅号に由来します。
自然を愛で、文化を享受する心を伝えた松平定信の「士民共楽」の精神を受け継ぎ、白河市に関連する城下町の歴史・文化を学びながら、新たに国際的なアーティストと地域住民との協働によって展開します。
白河市のパブリック・リレーションズ( Public Relations; PR )とともに、地域の時代を担う子どもたちにアートと継続的に関わる未来を提供します。

なお、新型コロナウイルス感染症の社会情勢を受け、白河市と福島大学の企画メンバー間では、これまで感染症の対策案も含め、ポスト・コロナ後の芸術祭のあり方について、悩みながらも多くの意見を出し合ってきました。
今年度の芸術祭は、インターネットを介して世界中の人々が身心の健康と活力を得られるような「祈」をキーワードに、白河の歴史、文化に根付いてきた「狛犬・神獣」や「白河ダルマ」、神社仏閣や教会などの歴史的な史料と重ねて展開することとなりました。
また、公共の場での3蜜(密閉空間、 密集場所、 密接場面)を避けて、地域の人々も享受できる企画を練っています。

なお、今後の情勢を考慮し、企画が変更することもあり得ますので、公式HPの情報をご確認いただけますようお願いいたします。

1.「風月」というタイトル

江戸時代の陸奥国白河藩主、松平定信公の雅号「風月」に由来します。「風月」は訳すると、清風と明月。秋の自然、風物に親しむことや、風流に親しんで詩歌を創作すること(才能)。英訳すると「beauties of nature」。風月を友とする「converse with nature」等の意味があります。「風月」は、自然を愛で、文化を享受する心が伝えるものといえます。

2.「福島ビエンナーレ」とは

2004年から福島県内で開催されてきた芸術企画として、福島大学が中心となって地域住民との協働により、「ビエンナーレ(隔年)」、県北(福島県文化センター、福島市、二本松市)、県中(福島空港、須賀川市)、会津(湯川村、喜多方市)、相双地区(南相馬市)で開催されてきました。今年度(2022年)は一昨年の「福島ビエンナーレ」を継承しつつ、あらたに白河市の地域住民が運営に参画し、産官民学の協働により展開します。

「福島ビエンナーレ」は2011年からその役割を大きく変えてきました。2012年、福島空港で開催された企画は、世界中のメディアで紹介され、震災後の福島発信の芸術企画として広く知れ渡りました。

2020年から「福島ビエンナーレ 」は白河市で「風月の芸術祭」として開催されています。白河市の歴史、伝統文化を通して、創作活動、鑑賞活動、体験活動を行い、人々が幅広くアートに触れ合い、集い、交流する機会を設けます。白河市ひいては福島県の地域文化を活性化させる一役を担い、芳醇な文化を実らせていきます。

3.「境」をテーマとした白河の歴史と文化

白河市には、自然と歴史、文化、芸術との関わりを伝える重要な資源が多数あります。

東に阿武隈、西に那須連峰の雄大な景色を一望できる地に位置する白河は、東北地方および北海道をまとめて「白河以北」と称した歴史がありました。陸奥(みちのく)=東北の玄関として扱われます。

白河の関は平城京の頃から都から陸奥国(東北)に通じる関門として史上名高い場所でした。奥州合戦の際、白河に達した時、源頼朝の命で詠まれた「秋風に草木の露をば払わせて、君が越ゆれば関守も無し」と重ね、松尾芭蕉は「白河の関にかかりて旅ごころ定まりぬ」と、みちのく路の第一歩を踏み出し、陸奥(みちのく)を越える旅に思いを馳せました。陸奥国白河は江戸時代、奥州街道の要地であり、戊辰戦争において白河小峰城の奪還は、奥羽越列藩同盟軍(会津・仙台・庄内藩を中心とした東軍)と新政府軍(薩摩・長州藩を中心とした西軍)の戦局を大きく左右しました。「白河口の戦い」(1868年)における犠牲者の墓や慰霊碑を、今も地元の住民は両軍を分け隔てなく弔い続けています。

本企画のタイトルとなった「風月」を雅号とする松平定信は、日本の伝統的な文化史の編纂や教育、藝術活動に多大なる影響を与えた人物として知られています。蘭書の翻訳事業を行い、教育政策として幕府直轄の「昌平坂学問所」を創設しました。幕府天文方の流れを汲む開成所と医学所を併せた本所は、東京大学や東京師範学校(筑波大学や御茶ノ水女子大学)の源流ともなりました。定信に認められ、エッチングによる洋式銅版画を修得した亜欧堂田善は、葛飾北斎や歌川国芳らの「浮世絵」の洋風表現に影響を与え、「解体新書」の画家として知られています。

定信は自らも書画を嗜み、谷文晁らと『集古十種』を編纂し、古画古物の模写約2000点が記録されています。定信が城下の繁栄を願い、職人に技術を習得させ、お抱え絵師の谷文晁に図柄を考案させたとされる「白河だるま」は今も縁起物として引き継がれています。

白河藩主時代に定信は、「士民共楽」の理念のもと庭園 (1801年) を造成し、庶民に開放しました。日本初の公園とされる南湖公園は、茶室「松風亭蘿月庵」や定信を敬慕した渋沢栄一が尽力した南湖神社も設立され、国の史跡および名勝に指定されています。

白河はまた近年、「狛犬の聖地」として注目を集めています。江戸末期から昭和初期にかけて小松利平、寅吉らによって制作された独創的な「飛翔狛犬」などの作品が多数残されています。

司馬遼太郎の『街道を行く』のなかに野バラの教会として紹介されている白河ハリストス正教会には、48点のイコンがあり、その中には、ロシアからもたらされた作品や、日本最初のイコン画家であり、女流画家の山下りんの作品が残されています。江戸時代から継承される城下町文化は明治期も引き継がれました。

白河市にはこのように地域の気候・風土や城下町の歴史を活かした様々な伝統工芸・文化があり、今なお脈々と受け継がれています。東日本大震災や新型コロナウィルスの影響が続くなか、今年度の「風月の芸術祭」は、「境」をキーワードに地域文化を守り、広くアピールしていきたいと考えました。

本企画は、国際的なアーティストの活動と白河の伝統的な地域文化を結びつけ、世界に向けて発信していきます。